— かたちで見直す日本の建築 —
『製図の歴史』で楕円を取り扱った際、楕円形建築の例を探したら、出てくるのは西洋ばかり。日本の建築に楕円形はないのかな?と探したのが、本稿のきっかけです。
ふだん建物を見て、その形が四角か円かなんて意識することは、あまりないのではないでしょうか。ところが、日本の建築を『かたち』で見直すと、意外なことに気づきます。
本稿では、『かたち』の中でも『楕円形』を視点とし、まず日本の建築に楕円形はないのかを検証します。そして、日本、東洋、西洋、地域による楕円形建築の有無がどこから生じたのかを整理します。日本の楕円形はちょっと意外なところにありました。
※本稿では、『建築』を建造物も含んだ意味で使います。『楕円形』には、円形、アプス形[1]を含みます。
1.日本の建築は四角?
西洋には古くから楕円形の建造物があります。まず思い浮かぶのはローマのコロッセオ。長軸約188m、短軸約156m。紀元1世紀の時点で、これほど巨大な楕円形の建造物が造られていました。

次に思い浮かぶのは、バロックの教会でしょうか。他にも、サン・ピエトロ広場(バチカン)、サン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ(イタリア・ローマ)[2]など、次々と名前を挙げられます。
では、日本はどうでしょう。世界遺産の寺社仏閣、城を始め、四角い建物が思い浮かびます。同じ木造の伝統をもつ中国や朝鮮も、主要な建築は四角です。では、西洋-楕円形あり、東洋-楕円形なし、かというと、そうではなく、同じ東洋でも、インドには楕円形の平面をもつ古代の寺院があります。同じ東洋のなかで、楕円形建築を持つ地域と、希薄な地域がある。この違いはどこから来るのでしょうか。
2.楕円に住んでいた日本人
日本に楕円形建築はなかったのか? いいえ、ありました。縄文時代の竪穴住居がそれです。縄文時代を通して見ると、円形・楕円形・方形・長方形、さらには六角形まであります。縄文中期には、円形と楕円形の建物が多くなり、規模は直径3〜5m前後、面積は10〜20m2程度だったようです(時代や地域によって幅がある)。また環状列石も楕円形建築と言えるでしょう。

このように日本にも楕円形建築はあったのです。
しかし、楕円が優勢なのは縄文時代まで。弥生時代後期から古墳時代前期にかけて、竪穴住居の平面は隅丸方形[3]が主体になり、古墳時代後期以降は方形に近い長方形が主流になっていきます。
弥生時代以降、日本人が楕円形の建物に日常的に住むことはありませんでした。このことは、あまり言われていません。数千年のあいだ、住まいの平面はほぼ四角のままです。
縄文時代の円や楕円の住居は、三内丸山遺跡(青森県)などで復元されています。訪れることがあったら、「楕円で生活する」という視点を意識されると、面白い発見があるのではないでしょうか。
3.日本建築が伝統的に四角い理由
寺社仏閣、城などの歴史的建築は、四角で構成されたものがほとんどです。その理由の土台にあるのは、木造軸組という構法です。直線の柱と水平の梁・桁を直交させて組むこの骨組みは、直線と直角の集合体で、四角い平面ときわめて相性がよい。逆に楕円は、輪郭のどの点をとっても曲がり方が変わるため、規格化した木の部材を並べる木造軸組とは原理的に噛み合いません。
この土台の上に、慣習が積み重なります。柱間を基準とする「間(けん)」が寸法の単位として定着し、条坊制[4]による矩形の区画、左右対称を理想とする寝殿造など、いずれも方形と相性のよい慣習が四角化を強めました。こうして日本の建築は四角くなっていきました。

4.楕円形への分かれ道、それは材料
『木』が日本の建築を四角くしていったとすると、西洋やインドはどうだったのでしょう。それはインドが示してくれます。インドの曲線的な平面をもつ建築は、石造・岩窟・煉瓦造といった、木造軸組とは異なる技術体系のなかで生まれました。バロック建築でも石・レンガが使われています。これらが楕円形建築を可能にしました。一方、日本、中国、朝鮮のように木の文化・技術の国では、曲線そのものを軸組で構成した大型建築は主流にならなかった。楕円の有無は、地域の好みや思想以前に、何で建てるかによって大きく方向づけられたのです。

5.日本的なものは『木』から生まれた
『木』が生んだのは、建物のかたちだけではありません。日本の生活文化、儀礼、宗教空間を現在の形にした大きな要因も、この材料でした。
ここで注意しなければならないのが、「材料の違いが建築の違い」ではあるものの、畳や障子・襖が空間を四角くした、のではないということです。因果関係が逆です。畳を敷き詰める書院造の成立は室町期以降で、それ以前から日本建築は方形でした。畳や襖という生活道具が空間の形を決めたのではなく、先に決まっていた方形の空間に、道具のほうが合わせて整えられていったのです。
6.日本建築は円形と無縁?
弥生時代以後、日本建築に円形が全く無縁だったわけではありません。円に近づいた建物もありました。法隆寺の夢殿、興福寺の北円堂・南円堂がそれです。ただし「円堂」と呼ばれても、実際の平面は八角形で、多角形で円に寄せても、曲線そのものを木造軸組で組むには至らなかった、といえます。
仏塔の多宝塔は、上層の平面が円形で、木造の円形建築に見えます。しかし木造の多宝塔では、この円形は上層の外観で、塔身は方形の初層の上に成り立っています。円を軸組で組んだのではなく、方形の上に円形の上層を載せたのです[5]。
会津さざえ堂(円通三匝堂、福島県)も、その一例です。内部に二重らせんの斜路をもつ世界的に珍しい木造建築ですが、その平面は六角形です。木造で曲線的な構造を試みた稀な例でありながら、平面はやはり多角形にとどまりました。

日本で楕円や円形の建物が本格的に現れるのは、近代に西洋建築を輸入してからのことです。弥生時代以降、日本の伝統建築から楕円形は生まれなかったのです。
7.まとめ
日本には、西洋やインドのような楕円形の歴史的大型建築はありません。だからといって「西洋には楕円形がある、日本にはない」と単純に言い切れるものでもありません。日本の建築史上にも、縄文時代の竪穴住居に見られるように楕円形が優位だった時代があります。
しかし、弥生時代以降、日本建築史において、楕円形が主役になることはありませんでした。日本建築は四角いかたちを発展させたのです。
楕円は生まれず、四角を発展させた最大の要因、それは『木』。まず「木の建築」が先にあり、そこに畳、襖といった生活道具が合わせられ、慣習や文化が培われました。
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楕円形という視点で建築を見直すと、改めて「四角に住んでいる」ということに気づかされます。そして、私達の遠い先祖は、円や楕円に住んでいたこと、その後の歴史のなかで、四角を選択したこと、「日本的」といわれるものが『材料とかたち』に大きく由来することなどが見えてきます。
次に古い建物や遺跡を訪れたとき、『かたち』を意識して、ガイドブックに書かれていない、自分だけの発見をしてみたいと思います。
注
[1]アプス形:片方が半円形になった長方形。

右:ホーリー・ファミリー・カトリック教会(アメリカ)のアプス。
[2]サン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ:楕円ドーム内部。約400年前に、近似楕円が建築に取り入れられていたことがわかる代表的な例。

[3]隅丸方形(すみまるほうけい):四隅を丸めた四角形の平面。
[4]条坊制:都市を東西・南北の街路で碁盤の目状に区画する都市計画。
[5]同じ円筒形の塔でも、石造や金属製のものは作られた。円形は、石や金属なら可能だったのである。

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