科学者の目と芸術家の目

note『色について考えてみよう』『製図の歴史は美術史?』を書いたことで、上村淳之氏の「日本画の行方」(美術年鑑社)を読んでみることにしました。多くの学びがあったので、ブログに残しておこうと思います。

人間の歴史と絵

『製図の歴史』は「絵で伝える– 絵から作図へ –」から始まります。

洞窟壁画は「知っている」ぐらいだったのですが、『製図の歴史』を書いたことで、いくらか興味が出てきたのでしょうか。「日本画の行方」の『幼稚園児はなぜいい絵を描くのか』の中にアルタミラの洞窟壁画が取り上げられていて、まず、その部分が目に留まりました。

「人間は内面を見つめる作業を避け、視覚的で技巧的な表現に走りがちだが、こうした再現願望は原始・古代にはなかった。アルタミラの洞窟壁画の動物は一見写実的だが、実際は網膜に残る印象を頼りに描かれ、豊猟や獲物との遭遇を願う人間の願望をイメージとして結晶させたものである。実際より肥満した姿は、動物をかけがえのない存在とみなしていたことを示す。古代人は描くことで祈りを捧げ、絵はまじないであり信仰だった。だからこそ稚拙に見える壁画に純粋で凝縮された美しさが感じられる。(上村淳之「日本画の行方」p.85を要約)

私は「サイが好きだった? 自分が仕留めた獲物の自慢? 草原をゆく馬の姿に感動した?」から絵を描いた、みたいな説明をしていますが、そうか、祈りか。うーん、でも上村氏も描いている通り、実際より肥満、要は「丸々肥えてるのがおいしそー」と思ったんじゃないかなという気がします。

自然への見方

この本には、画学生への指導とか、日本画家であり教育者でもあった上村氏の面白いエピソードがちりばめられているのですが、その中で、私が一番興味深かったものを要約でご紹介します(実際の文章を読んでいただくのが一番なのですが、著作権とか色々あるので)。『宇宙の動物センターからのメッセージ』という文章です。

私は十九歳から絵のモデルとして多くの鳥を飼い、その生態から人間として教えられ、反省させられることが多い。ニホンキジやクジャクなど雌雄の羽色がはっきり異なる鳥は、多くの場合、雌だけが抱卵し子育てを担う。一方、ハトやツルなど羽色の変わらない鳥は、夫婦交代で卵を抱く。雄だけが目立つ色をしているのには理由がある。産卵と育児を担う雌は種族にとって最も大切な存在で、外敵に殺されれば種が滅びるため、地味な色で身と子を守る。雄は逆に鮮やかな色で外敵の目を引きつけ、家族を守る。ところが卵を生まなくなった老いた雌鳥は、翌年から雄と同じ美しい羽色に変わる。これは雌としての用を終えた者に自然が課す責任で、派手な姿は逃げる力も攻撃力もない老鳥にとって危険な前兆だが、その身を「命の盾」として外敵を引きつけ、種族を危険から守る役割を果たす。こうした自然の掟に生きる鳥の生態を知ると、自然に対するイメージは大きく変わってくる。(上村淳之「日本画の行方」p.111-112を要約)

クジャクの雄がハデなのは、雌に対するアピールと他の雄への誇示だけだと思っていたら、ずっと深い理由だったのですね。「雄はなぜハデなのか」がクイズになることはあっても、では雌はなぜ地味なのかは考えたこともなかったです。勤務場所でクジャクを飼っていたので、飼育している人に聞けばよかったな(こうやって、学ぶチャンスがあっても気づかずに終わった事ってたくさんあるんだろうな…)。

科学者の目と芸術家の目

この本の『おわりに』で、上村氏は物理学者福井謙一氏の言葉を紹介しています。

「科学も芸術も、究極は一緒ですよ」(上村淳之「日本画の行方」)


上で紹介した厳しい自然界の掟に生きる鳥たちの生態を観察した文章など、本当に「科学も芸術も、究極は一緒」なのを納得させられます。

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noteを書いたことで、上村氏もクジャクの羽の秘密も知ることが出来ました。私は科学者でも芸術家でもないけど、この自然を観察する目に憧れます。

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