『だ円』から見える工業教育の現状

ギジュっちゅ!の挑戦(以下my_002と略)で、高校工業の授業(座学)の抱える問題点の一つとして「学習意義が希薄である(学ぶ理由が見えない)」ことを挙げた。この点について、教科書「だ円」の部分を例にして論ずる。
※教科書は『だ円』ですが、私は『楕円』と表記します。

1.教科書の現状

教科書は、『ここでは,だ円や歯形曲線などの特殊な図形のかき方について学ぶ。』とだけあり、かき方の説明が始まる。指導書も『直線と円弧、円弧と円弧のつなぎ方は、機械製図の中で頻繁に出てくるので、正しく指導したい。』だけで、楕円のかき方をなぜ学び、課題としてあるのか説明がない。楕円は、円弧と円弧のつなぎ方のための練習課題なのか? 教科書を使って教えなければならない者からすると「学ぶ意義を書けばいいのではないですか?」と問いたい。

2.私の考える「楕円のかき方を学ぶ意味」

先に断っておくが、私は「楕円のかき方を学ぶ必要はない」と言いたいのではない。私が考える意味は、下記の2点である。

(1)作図を通して、手順を追う力と幾何の知識を身につける

中点を求め、垂線を立て、その交点を弧の中心とし…という手順を進めていくことで、一つ一つの作業を正確に行うことと接線や対称といった幾何の性質を学ぶ。

(2)近似という表現手法を理解する

円柱や穴を等角投影図でかくと、円は楕円として表現される。これを、読図者に誤解を生じさせない範囲で表現(近似)することは、製図の一部であることを知る。

3.なぜ学ぶかが示されない理由

上記で挙げた2点は、私の考える「なぜ学ぶのか」であって、教科書や機械の専門家が記述しているものは見たことがない。かき方なら、本でも動画でもいくらでもあるのに、「なぜ学ぶのか」が見当たらない理由、それは

(1)継承された項目だから(つまり惰性)

楕円のかき方(近似法)は明治期の日本に製図教育が導入された時点で組み込まれていた構成要素であり、検討されて採用されたものではないため、「なぜ学ぶのか」が最初からない。

(2)問いが誰の職務でもない(つまり怠惰)

教科書会社は従来項目の踏襲、教員は定められた内容を教えることが職務であるため、項目の存在意義を言語化する役割を制度上誰も負っていない。

(3)「かき方」だけ拡大再生産(つまり惰性)

「かき方」については、それを学んだ人たちによってコンテンツが生み出されていくが、「なぜ学ぶか」は製図を教える側が考察することであり、需要が少ない。結果、「かき方」はあるのに、「なぜかくか?」は見当たらない状況が生まれる。

(4)意味が議論されない(つまり怠惰)

CADの普及により、楕円を定規とコンパスで手書きすることは実用価値を失ったにもかかわらず、時代の変化と対応について議論されることがない。惰性で存続している。

4.楕円の「だ」は惰性と怠惰の「惰」?

my_002で指摘したことを振り返り、今回指摘した3(1)~(4)を整理すると、

(1)「継承された項目だから」は、教科書側①「旧態依然」の理由の一つである。そもそもの学習項目が検討されたものではない。

(2)「問いが誰の職務でもない」は、現場側②「現状維持で手一杯」、③「教育の属人化」、教科書側④「競争原理の不在」と同じ構造。

(3)「かき方」だけ拡大再生産は、教科書側①「旧態依然とした学習内容」とつながり、『そう教わった』『他の本もこう書いている』と現状を踏襲する点で、①と同じ構造である。

(4)「意味が議論されない」は、教科書側②「制度上の制約」とつながる。「基礎的な内容が現在の技術へどのように発展しているのかという接続」が教科書、少なくとも指導書にあるべきではないのか。

以上が、私が「学ぶ意義を書かないのは、教科書を制作する側の怠惰だ」とする所以である。

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高校工業の教科書は、もっと親切でいいんじゃないんですか? あの本、約2000円(教科書でなければ約4000円!)ですよ? 私が製図を教えたり学ぶなら、最近は工業の本も読者目線の本が出てきているので、そっちを使いますわ。

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