『マッス(mass / masse)』という美術用語があります。簡単に説明すると、対象を細かな輪郭や部分ではなく、『かたまり』として捉える考え方。
人物を描く場合であれば、最初から目・指・服のしわを描くのではなく、頭部のかたまりや腕や脚の大きなかたまりというように、まず全体を単純な立体として捉えます。
明暗のマッスというのもあって、顔であれば、「目が暗い、鼻の横が少し暗い、口元が暗い」と細かな陰影を追うのではなく、「顔の右半分が影になっている」という捉え方です。
素描(drawing)でみるマッス
実例をみてもらう方がいいと思うので、代表例を紹介します。

頭 → 小さな塊、上半身 → 大きな塊、脚+布 → 巨大な塊という構造。身体の重量感が、大きな塊の組み合わせによって表現されている。

目・鼻・口を輪郭線で細かく説明するのではなく、顔を大きな明暗のマッスに分けて捉えている。

衣服と胴体の暗部が一つにつながり、頭部、スカート、脚というかたまりで、人物が組み立てられている。

人物と背負った薪が一体となり、大きな暗いマッスをつくっている。人物と背負った薪が一体となり、大きな暗いマッスをつくっている。《落穂拾い》で知られるジャン=フランソワ・ミレーの素描。

輪郭線に頼らず、大きな明暗のまとまりによって人物と空間を形づくっている。メトロポリタン美術館は、この作品について、「線を使わず、黒の階調によって描かれている」と解説している。

頭から胴体、スカートへ続く大きな暗い塊として人物が成立している。この暗い形のまとまりが、典型的なマッスである。
さまざまな作品でみるマッス

複数の母親と子どもが描かれているが、最初に見えるのは個々の人体ではなく、ひとかたまりになった巨大な黒い形である。腕、顔、手などの細部は、その大きなマッスの内部に組み込まれている。マッスが、複数の人物を一つの集団として見せる造形にもなっている。

カラスを「黒い一つの形」として捉えている。羽根1本1本は描かれていないのに、まさにカラス。

日本の版画作品による『明暗のマッス』。手前の大勢の観客は、一人ひとりの輪郭よりも、横につながる大きな暗いマッスとして見える。そこに提灯や花火の明部が対置され、光と闇の対比がつくられている。

特に髪に注目したい。髪の毛一本一本を描くのではなく、まず髪全体を大きな立体のマッスとして扱い、その内部に凹凸を入れている。落ち穂拾いのミレー(ジャン=フランソワ・ミレー)とは別人。
マッスと質量
「マッス(mass / masse)」は、物理や工学では「質量」という意味で使われ、記号$m$ で表されます。
下記は、今、解説を書いている工学の問題です。ブロックのようなものがばねでつながれている状態を表した図です。2つの四角形を質点といい、その質量が$m$だということを表しています。

この2つのブロックがどう動くかを解くのですが、一つ一つがどう動くかを解くのはやっかいなのです。なぜかというと、片方の動きがもう片方に影響を及ぼすからです。これをトランポリンで例えてみると、

同じトランポリンに2 人が乗ると、片方の動きが布を通じてもう片方に伝わります。一人が着地するとトランポリンが変形し、その変形がもう一人の運動にも影響します。
では、この問題、どうやって解決していくかというと、「1つ1つを見るのではなく、2つがどのような関係にあるか」で見ていくのです。そして、2つが同じ方向に動く場合と、違う方向に動く場合を考えると、解くことができるのです。
このばねの問題を考えているとき、「ものをかたまりで見る」ってどこかで聞いたことあるよな、と思い、「そうだ、マッスだ」と思い出したのでした。
小学校の図工の時間に先生がよく言っていました。「あなたたちは、人の顔を描くと、すぐ目や鼻とか特徴あるところにばかり、時間をかけるけど、そうじゃないんだ」。そして、写真も「顔ばっかりとってるね~。そういうの、記念写真っていうんだよ」。先生は、新聞記者をしていた時があったそうで、先生が撮ってくれる写真は、子どもたちが走っているところだったり、勉強しているところだったり、「いつの間に撮ったんだろう?」と思うような写真でした。
部分にとらわれるのではなく、全体を見る。それは、どんなことにでも通じる秘訣なのでしょう。
そうすると、「なんか今日の出張、気が滅入ったけど、何十年ぶりかで知り合いに会えて話ができたから、プラスマイナス、プラスかな」と一日を終えられる気がします。

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