1. 思ってたんのと違う…
『色について考えてみよう』を機に、色についての画家の言葉を集めてみようと思いました。 すると、「黄色とオレンジなしでは、青はない。」というゴッホの言葉があるとのこと。この調子で集めようと思ったのですが、他人の日本語訳をそのまま転載するのは避けるべきなので、原文を探してAIに訳してもらうことにしました。
上記の言葉は、画家ベルナールへ宛てた手紙に書かれている、
「Pas de bleu sans jaune et sans orangé, et si vous faites le bleu, faites donc le jaune, l’orangé aussi, n’est-ce pas !」
が原文(書簡622)になるんですが、原文に沿って訳すと、
「黄色とオレンジなしに、青はありません。青を置くのなら、黄色も、オレンジも置くのです。そうでしょう?」
おや? 格言だと思っていたら、ベルナールへのアドバイスじゃないですか。当時、ゴッホ35歳。ベルナール20歳。15歳年下の若者に、上から目線ではなく、同意を求める語り方をしている。ベルナールは早熟で、すでにゴーギャンとともに新しい絵画表現を生み出しつつあり、数年後には象徴主義・総合主義の重要な画家として前衛画壇に知られるようになりますが、この時点では、まだ新進画家のはず。

ゴッホ《青い手袋のあるオレンジとレモンの静物》(1889) ゴッホがベルナールに「青を置くなら、黄色も、オレンジも」と助言した翌年に描かれ、のちにベルナールへ贈られた作品。鮮やかなオレンジ色の果実に青い手袋を配し、青とオレンジの強い色相対比を際立たせている。

ベルナール《青いコーヒーポット》(1888) 濃い青のポットと鮮やかなオレンジ色の果実を対置し、補色によって互いの存在感を強めている。ベルナールは1886年にはすでに、青とオレンジへの強い関心を両親への手紙に記していた。
原典に当たってよかったー、なんですが、あれ? ゴッホって、画家の共同生活を計画するも誰も集まらず、テオの声がけでゴーギャンが来てくれたが2か月で破綻して、耳を切り落としたりする孤高の天才画家、という感じの人じゃなかったっけ? 違った?
原文は「青を置くなら黄色もオレンジも置け」というアドバイスと「そうでしょう?」という呼びかけでした。原文の直後は、こう続きます。
「もっとも、こういう話は君には分かりきったことかもしれないけれど」
ますます、「ゴッホ=自己主張が強く、コミュニケーションが苦手な人」のイメージが、壊れていきます。気遣いできてるし。
2. なぜ、技術の話が「格言」になるのか
それにしても、「青を置くなら黄色もオレンジも置け」は、画家同士の技術のやり取りです。それが、なぜ格言風に訳されるのか。理由を考えてみました。
① 原文自体が格言風
そもそも、原文のフランス語が、格言ぽさを持った構文である。
② ゴッホが詩的
詩や文学を好んだゴッホは、格言ぽい言い方が好みだったところがある。例えば、ボックの肖像画『詩人』を描いていた時期の、肖像画の技法論の一部にこんな文章がある。「星によって希望を表現する。夕日の輝きによって、人の情熱を表現する。」(書簡673)

ゴッホ《ウジェーヌ・ボック(詩人)》(1888) アルルで知り合ったベルギー人画家ウジェーヌ・ボックの肖像。ゴッホは彼を「芸術家の友人」と呼び、「彼への評価と愛」を絵の中に込めたいと書いた。(書簡663)
③ 日本への紹介が『白樺』だった
ゴッホを日本に本格的に紹介したのは、『白樺』の同人たち(武者小路実篤、柳宗悦、児島喜久雄ら)だった。興味深いのは、作品の実物よりも、手紙や生涯を通してゴッホを紹介したことである。ゴッホ研究者の圀府寺司氏は、日本でのゴッホ・ブームは「もっぱら最初は文学的な出来事として始まった」と指摘している(ポーラ美術館インタビュー、2025年)。同人たちは、ゴッホら後期印象派の劇的な人生に自分たちの生き方の理想を重ねた。その結果、ゴッホの言葉を、絵の技術論としてではなく、生き方や思想を語ったものとして受け取るという土壌が出来上がっていった。
④ 「芸術家=求道者・思想家」という理想化
ゴッホは死後、「炎の人」(アーヴィング・ストーンの伝記小説。その後、映画化)として神格化された。悲劇的で情熱的な芸術家像が定着した。このイメージに合う部分は抜粋され、イメージに合わない部分は紹介されない。
格言の誕生
①②により原文が格言化しやすい素材だったこと、③④により受け手側にそれを生き方や思想として受け取る土壌があったこと。この2つが重なり、紹介者や訳者は「そうでしょう?」以降をカットし、相手に気を遣いながら話しかけている雰囲気を消して、格言風にする訳を選んだのだと思います。
ゴッホ自身は、過剰な評価を警戒していました。批評家アルベール・オーリエから高く評価されたときも、自分に向けられた評価はむしろモンティセリやゴーギャンにふさわしいと返し、のちには、自分の絵についてこれ以上記事を書かないよう頼んでほしいとテオに書いています。
ちょっと調べただけで、私の「孤高の天才画家ゴッホ」像がどんどん崩れていきます。そして、この像自体、世の中に溢れている「加工されたゴッホ」に影響されたものだったというわけです。
3. 問い直されるゴッホ神話
「大ゴッホ展」(上野の森美術館ほか)の開催概要には、次のような表記があります。
「苦悩に満ちた人生に立ち向かい、芸術へと昇華させる姿」
「生前ほとんど評価されなかった」
「印象派を中心とする画家たちと交流したパリ時代」
「ファン・ゴッホが残した『魂の探求』とも言うべき作品」
「未来へ生きる原動力の一助となる」
個々の表現は、事実として間違ってはいません。しかし、ここで選ばれた出来事と言葉を並べてみると、芸術は「苦悩し、格闘し、生まれてくる」というイメージと、ゴッホを「孤高の天才芸術家」と捉える視点が強く前に出ている気がします。
「生前ほとんど評価されなかった」は、事実の一部です。実際には、死の半年前から評価の兆しが具体的に現れていました。オーリエに高く評価され、ブリュッセルのレ・ヴァン展では『赤い葡萄畑』がベルギーの画家アンナ・ボックに400フランで売れます。さらにパリのアンデパンダン展では、テオが「ゴーギャンは君の絵が展覧会の鍵だと言っている」「モネは君の絵が展覧会で最良だと言っている」と手紙で知らせています。評価が始まっていた矢先に亡くなったのです(1890年7月)。
「印象派を中心とする画家たちと交流したパリ時代」は事実ですが、選ばれているのは「パリ時代」だけです。アルル時代も、ベルナール、ゴーギャン、ラッセル、ボック、ミリエ、ルーラン一家、ジヌー夫妻ら、多くの人と関わっていました。孤高というイメージに合いにくいアルル時代の交流は、書かれていないのです。
こうした「神格化」に対して、世界の美術館は問い直しに動いています。
ヴァン・ゴッホ美術館(アムステルダム)は、2009年に書簡全文の学術的アーカイブを公開し、無料で誰でも読めるようにしました。同館は、長く流通してきた「狂気の天才」という神話を問い直しています。他にも
「ヴァン・ゴッホ:『苦悩する天才』神話への挑戦」テート美術館(ロンドン)
「『苦悩する天才』像について」(ボストン美術館の研究者ラウラ・プリンスによるインタビュー)
この「後世に作られたゴッホ像」を問い直す仕事は、日本では、圀府寺司氏の『ファン・ゴッホ神話』(1992年)などがあります。
4. 人間ゴッホ
ちょっと調べ物をするだけだったのに、私の勝手な「ゴッホ像」があれもこれも間違っていることに気づいて、確かめていったら、「えっ! ゴッホってこんな人?」ができあがってしまいました。
私が、『色について考えてみよう』で取り上げたゴッホの絵に「夜のカフェテラス」があります。対照色相の例として挙げているのですが、「大ゴッホ展」の子ども向け鑑賞ガイドには「ゴッホはどんな気持ちでこの絵を描いたと思う?」という問があります。子どもはどんな答を言ってくると想像しますか?
大人が想定している答えの一つは、「夜の現場で直接描くことを、ものすごく面白いと感じていた」というものでしょう(書簡678)。でも、もしかしたら「いい絵が描けた。売れるぞ、これは!と思った」と言う子どもがいるかもしれません。この絵についてゴッホがそう考えたと示す書簡はありませんが、ゴッホが絵の売れ行きを意識していたことは、テオ宛の書簡から読み取れます。これも正解かもしれませんよね。
ただ、このゴッホの気持ちを問うた大人側は、美術作品を見たときの感想としてお金に関することは想定しないのではと思います(美術教育の専門家に聞いてみないと!)。でも、お金の話をしているゴッホって、距離が縮まる気がします。
ちなみに私の専門は工業だったのですが、コストを考えないものづくりはありません。どんなにいいアイディアを実現しても品質が良くても、赤字になるような製品はアウトです。何事も理想と現実の中で、どこを落とし所とするかですね。当たり前だって? そうですね、きっとゴッホだったら、こう言うでしょうね。
「もっとも、こういう話は分かりきったことかもしれないけれど」
5. 美術って、もっともっと面白い
私が定型化してしまっている画家はもっといるのではと考えると、ゴーギャン(タヒチへの逃避)、モディリアーニ(貧困と早逝)、セザンヌ(孤高の実験家)、モネ(睡蓮の人)などが出てきます。これらも実像とは違っているでしょう。なぜなら、私のイメージは、断片的に知っている知識をつなげて作ったものだから。調べてもいないし。いわば、ハルシネーションです。
わかってる、知ってるなんて思わずに、作品を見て、ちょっと調べればいいだけなんですよね。すると、今まで「天才」という言葉でひとくくりにして見ていなかった画家の努力、人間味、芸術への想い、画家達の交流、そうやって芸術が発展してきたこと達が見えてくるのに。なんか、今まで損していた気分になってきました。
私は美術展とか行くのが好きなのですが、何を見ても、自分が知っている何かを確認して帰ってくるだけなら、つまり、見たいものを見てるだけなら、「行かなくてよかったんじゃネ?」です。
最後に、「夜のカフェ」(夜のカフェテラスではない)を挙げて、締めたいと思います。キャプションはゴッホの手紙からの引用です。ゴッホ、いいね!

ゴッホ《夜のカフェ》「私は赤と緑によって、人間の恐ろしい情念を表現しようとした。」 (書簡676)

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